阪神・淡路大震災とこころのケア

阪神・淡路大震災後に行われた精神科救護活動

阪神・淡路大震災において、直後の精神科医療・精神保健を考える上では、次の 2点がその特色として挙げられます。第1に、激震地は精神科診療所の多い地域で、それらが大きな被害を受けたために、診療機能を早急に補完する必要性が生じたという点です。第2に、被災の衝撃と混乱によって新たに発生した精神的問題への対応が、強く求められたという点です。被災者の心理的苦悩は一歩被災地に足を踏み入れれば明らかで、またメディアを通してリアルタイムに報道されており、社会的な関心が向けられたのは、主に後者についてであったといえるでしょう。しかし、以下に述べるように、地域精神医療に携わる関係者の多くが、強く関心を寄せたのは、むしろ前者についてでした。

震災直後から被災地内外の多くの関係者も、何らかのメンタルヘルス活動が必要と認識し、実際の活動を開始しました。その際、当初の数ヶ月の間、中心的役割を果たしたのは、地元の保健所を核とする震災前からの精神医療ネットワークでした。これに被災地外からの応援チームが参加し、密度の濃い精神医療活動が、数ヶ月間にわたり継続されました。そのうち、活動の拠点として10カ所の保健所に「精神科救護所」が設置されました。

この活動では、被災状況や応援態勢、核となった担当者の職種などの違いによって、地域ごとに独自性の高い活動が展開されていました。例えば、地域内の4 カ所の精神科診療所のうちのほとんどが、全壊あるいは全焼した神戸市長田区では、診療所が再開されるまでの間、通院患者の医療を継続するために、焼失した診療所の医師と保健所の精神保健福祉相談員を中心に、保健所内で臨時の診療が開始されました。一方、医療機関の被害は大きかったものの自力での立ち直りが比較的早く、また外部からの援助も受けやすかった西宮市では、保健所の保健師と地元診療所の精神科医、および応援チームによる避難所巡回が、活動の中心に据えられました。また、被災地内に精神科医療機関を一切持たなかった津名郡(淡路島)では、隣接する地域の民間精神病院が中心となって、避難所への巡回を行うという方法が採られました。

10カ所の救護所活動には全国から多数の精神医療関係者が参加しました。この場合、厚生省(当時)が地元の要請を受け、各自治体へ速やかな協力依頼を出したことは評価されています。また、学会や関連団体の対応も早く、応援者の派遣が速やかに行われた要因となりました。むしろ初期の段階は応援者が殺到したという局面もあり、コーディネーターの存在が強く求められました。

救護所活動は、基本的に現場主導で、全体のコーディネート機能は実際の活動に追従する形で立ち上げられました。コーディネーターが担ったのは、各地域の情報を集積しそれを発信すること、国や他の自治体および関連団体との連絡、外部からの応援者への対応と振り分け、後述する精神科救急体制や夜間往診体制の整備と運営などでした。その担い手は県立精神保健センター(当時)と応援医師であり、各現場での決定を最優先するという方針に基づいて活動し、そのことが現場の活動を円滑に進めることに寄与しました。



HOME阪神・淡路大震災とこころのケア阪神・淡路大震災後に行われた精神科救護活動